10.29-30 札幌

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29(土)

うまく進められていない仕事があり、体力気力弱りぎみのところで精神的にも参っていた。前日あまり眠れず、6時に起きて羽田空港へ。8:15発の便で新千歳空港に向かう。
10時前に着陸し、ずいぶん揺れて酔ってしまったけれども快速エアポートに揺られて札幌へ。大通駅まで地下を歩くと道がきれいに整えられていて気持ち良い。
12時少し前に宮の沢のじさま家に到着。去年の定山渓温泉から一年ぶりである。じさまは年々弱ってはいるが、芯がしっかりしていたままで、えらい。老人マンション(サービス付き高齢者向け住宅)にてミニハンバーグと食パンのお昼ごはん。
昼寝させてもらって、元気になったら宮丘公園を散歩する。札幌は秋の終わり、来週からはずっと雪ということで、紅葉が盛りであった。寒いけどなんとなく嫌な感じはしない。北海道の風景はシンプルできれいである。
17時過ぎから少しビールを飲んで、18時ごろに晩ごはん。イカと里芋の煮物である。以前より料理が美味しくなった気がする。
部屋に戻り、少し休んで風呂を浴び、日本シリーズ第6戦を見る。じさまが日ハムの布陣は全力ではない、今日は負けてあげて明日勝負するつもりだろうと言うので、あまり期待せずに見始める。とは言え、勝てば優勝の試合。一つ一つの攻防にはらはらさせられる。21時半過ぎてまだ7回で4対4。じさまの目も疲れているし、この辺で眠る。

30(日)

朝起きてスマホで試合結果を見ると、10対4で日ハムが勝ち、優勝していた。8回に大量得点があったそうだ。肝心のところは見られなかったが、じさまといる日に優勝してくれて大変に嬉しい。朝ごはんはベーコンと玉ねぎのスープに和食。
二度寝して、少しパソコンで仕事しつつ、じさまとお喋りして過ごす。じさまの父親は洋服屋だったが、戦争になって生地が無くなり、農林中央金庫の小間使いさんになったそうだ。札幌の山鼻という地区に銀行長の旧宅があり、そこを借りて住んでいたそう。じさまの部屋は住み込みの家政婦さんが暮らしていた部屋で、大変に古く壁には隙間があった。布団に寝ていると壁の隙間から月が見えたという。寒すぎて、朝は布団の上に自分の吐息が凍った霜が降りていた。
じさまの生母はじさまが二歳のとき、弟の出産時に病気をしてしまい、弟と一緒に亡くなった。じさまは母親の温もりを知らずに育ち、それをとても悲しく思っている。じさまのへその緒が手元に残っていて、これが唯一の母親との繋がりだから、棺桶に入れてくれと言われた。湿っぽい話だが、じさまも90になる。そういう時だ。
15くらいから通信士として働き、終戦の年は18歳。ぎりぎり徴兵されずにすんでいる。その分、職場の先輩はみんな戦争に行ってしまい、現場のトップをじさまがやっていた。昼夜交代しながら通信を途切らせることのないようにしなければいけない。食べるものもなく、結核になる者も多かったそうだ。結核になると隔離された病院に飛ばされるが、ほとんどの人は戻ってこなかったという。
食うものがない中、かぼちゃにはずいぶん助けられたそうだ。植えとけば、勝手に育ってくれる。本当は間引かないと大きなかぼちゃにならないのだが、沢山欲しかったのであえてそのままにしたそう。かぼちゃばかり食べていたから、みんな手が黄色く染まっていた。
さて、日ハムの選手インタビュー特番も終わって、14時にじさまの家を出る。また近いうちに行きたいと思う。札幌に出て、北大を見て、バカでかくてゆったりとしていて、銀杏並木の紅葉を歩いた。18時の飛行機で帰る。

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