“わからない”という感覚は、怖いという感情を導きやすい。恐怖は、怒りと良く似ている。
わからないという感覚がそれら負の感情の源泉となるなら、何らかの向き合い方が必要だ。
わからないの対義語は”わかる”ではないと思う。わかろうとする、というのが一つの候補だろう。もう一つは、すぐ側にあるそのわからないものを、ただそこに在ると認めることだ。
受け入れる・許す・理解するというように、ある意味一方的に対象に働きかけるのではなく、わからないものが自分の隣にあることを知る、くらいでどうだろう。
それは何かを解決しない。でも、無数のわからないことを取り扱わねばならない私たちにとって、一つの姿勢となるかもしれない。